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暦のはなし
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太陽暦と太陰暦

 現在、国際的に使われている暦、いわゆる西暦は、太陽の年周運動を基準にした暦、すなわち「太陽暦」(The solar calender)です。

 このほかに、「太陰暦」(The lunar calender)、つまり月の満ち欠けの周期を基準にした暦があります。例えば、イスラム暦は純粋な意味での太陰暦です。ただ、1年たって同じ環境というのは、太陽の周回に起因するので、太陰暦だけだと、1年の暦を論じる上では使いづらいという欠点があります。春夏秋冬が月に一致せず、15年ほどでその月の季節が正反対になってしまいます。

 それを解決する手段として、年要素には太陽暦を取り込み、1ヶ月は月の運動、1年は太陽の運動を基準にして構成される暦が、「太陰太陽暦」(The solar-lunar calender)です。日本の旧暦(和暦)も、太陰太陽暦です。太陽年(地球の公転で成す1年)と、朔望月(月の満ち欠けが作る1ヶ月)が構成する年は一致しないため、閏の月を挿入することでこのズレを修正します。閏月の入れ方ですが、何月に…などという確固たる規則はないものの、多くの場合「メトン法」と呼ばれる方法で、19年に7回入るようにします。これは、平均太陽年と平均朔望月の最小公倍数に近い数字から、太陽暦と太陰暦の差を補完するよう決める方法で、19太陽年=6939.602日,235朔望月=6939.688日,19年の運用につき生じる差は、235−19×12=7ヶ月、という理屈で「19年に7回」ということになります。

 太陽暦は、古くは古代エジプト王朝で策定され、太陰暦は、メソポタミアで策定されたと言われています。まともに観測機器がなかった当時の苦労がしのばれます。エジプト太陽暦制定は、ナイル川の大洪水を予測することが大きな目的のようでした。

 もちろん、現在使われている西暦が、そのままエジプト王朝から踏襲(とうしゅう)されているなどというわけではありませんが、流れとしては、「エジプト系太陽暦」ということにはなっています。

ユリウス暦の採用

 B.C.(紀元前)750年ごろからB.C.46年までのローマで使われていた暦を便宜、「古代ローマ暦」と呼びます。B.C.710年までがロムルス・レムス暦、以降がヌマ暦という暦ですが、詳しくは、以降の「閏日を2月に置く理由」で述べます。

 古代ローマ暦は、太陰太陽暦の一種で、よって、閏月を挿入して暦を調整していたわけですが、入れ方がきちんと守られなかったり、あるいは政治権力者の陰謀で入れたり入れられなかったりということがあり、次第に乱れたものとなっていきました。

 そこで、B.C.46年、政敵であったポンペイウスを排除してディクタトルの地位に就いたユリウス=カエサル(ジュリアス=シーザー)は、この乱れた暦を改定することを決意します。そしてただちに、天文学者ソシゲネスに、古代エジプト暦を参考にした完全な太陽暦を作らせ、全ローマ下に公布しました。この暦が「ユリウス暦」です。太陽暦にしたのは「閏月を入れずに済むから」という単純な理由のようですが、この暦の採用が、「太陽暦」をスタンダードたらしめる要因となったことは事実です。

 カエサルは、ユリウス暦の採用に当たり、入れられていなかった3ヶ月分の閏月をB.C.46年に一度に入れ、冬至からすぐの新月をB.C.45年 1月 1日にしました。このため、B.C.46年は445日ににもなっています。新月を元日にしたのは、よかれと思ってやったことなのでしょうが、朔望月の周期は、太陽の年周運動による1ヶ月とはまったく一致しないため、翌年の元日は新月にはなりません。この辺はまだ前の暦のしきたりを引きずっている感もします。

 ユリウス暦の規則は次の通りです。

  1. 1年を365日とする。
  2. 4年に 1回閏年(うるうどし)を置き、2月23日と24日の間に閏日を1日付加する。

 この時はまだ、西暦の数字がなかったわけですから、曖昧な定義でした。1年の平均日数は、(365×3+366×1)/4=365.25日。実際の太陽の年周運動の周期は、365.24219879…日ですから、年差は約0.0078日(約11分14秒)になります。なお、なぜ「2月23日と24日の間」なのかは、「閏日を2月に置く理由」を参照ください。

 ユリウス暦はその後、1600年以上も運用されました。ただそれは順当にというわけではなく、ミスで閏年の入れ方を間違えるということがあり、3年ごとに閏日を入れたりする、いわゆる「混乱期間」も長らくありました。これに動いたのが、オクタヴィアヌス帝で、B.C.6年〜A.C.8年の間の13年間、閏年を入れずに、暦を修正しています。

※ アクティウムの戦いで地中海を平定したオクタヴィアヌスは、B.C.27年、プリンキパトゥス(実質上の帝政)を開始し、その元首に就いた。

 彼は、自らの功績をたたえる意味で、誕生月であるSextilis(8月)を、自分の尊称からとってAugustus[アウグストゥス]と改称しました。実は、カエサルもかつて同じように自分の誕生月のQuintilis(7月)をJulius[ユリウス]と改称しているのですが、それに倣っています。(英語の8月はAugust、7月はJulyですが、これでその意味がお分かりと思います。)更に、オクタヴィアヌスは、、平年の2月を29日から28日にした上で、30日だったその8月を31日とし、後の月の大小を逆転させました。交互に訪れる大の月と小の月が、8月から反対になるのは、このせいです。

※ Augustusは、「尊厳ある者」の意で、オクタヴィアヌスがローマ元首となった際、元老院(言うなれば議会)から贈られた尊称である。プリンキパトゥス開始後も、形の上では、元老院は維持されたのである。

グレゴリオ暦の採用

 御幣を気にせずに言えば、キリスト教国にとって、暦の上でもっとも重要な時期は春分でしょう。キリストが復活したお祝いをする日である、イースターすなわち復活(感謝)祭は、「春分の後の最初の満月からすぐの日曜日」と定義されているからです。 このイースターの基準となる春分を完全に暦に一致させることは、宗教上重要なことだと言えます。(この感覚を想像しずらい場合、4月になってからお彼岸をするのでは意味がない、というようなことで置き換えればいいかもしれません。)

※ 325年、コンスタンティヌス帝が召集した「ニケーア公会議」で決定した。これは、キリスト教会初の公会議である。三位一体説(神,キリスト,聖霊は一体で不可分とする考え方)を正統派とし、アリウス学派(キリストに人間的な面を強く認める考え方)を異端として追放したことで知られる。

 春分と言うのは、暦学でも、天文学でも重要な現象です。簡単に言うと、太陽の見かけの公転軌跡である黄道が、南から北へ地球の赤道を横切る瞬間(太陽黄経0°)のことなのですが、座標系を用いた説明はここではしたくないので、とりあえず、「3月下旬、太陽が真東から出て真西に沈み、昼夜の時間が等しくなる日に起こる現象」ということで片付けておいても構いません。この春分の起こる点(春分点)というのは、毎年少しずつずれていくのですが、以下ではこのずれを気にしないものとして、考えてください。

 はじめ春分の日は、カエサルによって、3月25日とされていました。それから、370年経ったニケーア公会議のとき、精密に計算した春分と開きが大きすぎるということで、3月21日に改められたのですが、そもそも、1年間で11分以上も狂っている暦で、日にちを変えたということだけで片付けるのは、大きい意味で言って解決になっていません。次の年にはまた、正確な春分時から11分遅れ、2年後には22分遅れ…となるわけです。16世紀後半にもなると、これが大きな問題になってきました。単純計算上、その差は10日以上。いくらなんでもずれ過ぎだと誰もが感じるところまできてしまったわけです。

 そこで、時のローマ皇帝グレゴリウス13世は、重い腰を上げ、暦の抜本修正に乗り出したのでした。彼の修正した暦が「グレゴリオ暦」と呼ばれます。

  1. 1年を365日とする。
  2. 西暦年数が4で割れる年には、2月末に1日、閏日を置く。
  3. 西暦年数が100で割れる年には閏日を置かない。
  4. ただし、西暦年数が400で割れる年には閏日を置く。

 1年の平均日数は、[((365×3+366×1)×25−1)×4+1]/400=365.2425日。実際の太陽の年周運動からの差は約0.0003日。

 グレゴリウス13世は、1582年10月4日でユリウス暦を打ち切り、10月5日を新10月15日として、1583年のイースターの日を修正しました。とは言え、カトリック教国はすぐにこれに従ったものの、プロテスタントの国々は、威信もあり、採用までに相当な抵抗がありました。ただ、それらの国々も暦の不正確さから不利な立場に追い込まれ、結局は1900年くらいまでには相次いで採用するに至っています。グレゴリオ暦は制定以後、修正されることなく機能しています。(閏秒の挿入は除く。)

閏日を2月に置く理由

 さて、ここで閏年について考えてみましょう。なぜ、閏日は2月末に置かれるのでしょう。普通に考えれば12月に置きたいものです。それに、ほかの月が30日ないしは31日なのに対して、なぜよりによって2月が半端な日数なのかと考えたことはないでしょうか。

 古代ローマ暦の最初の暦、ロムルス・レムス暦は、Martius(英語で言うところのMarch)からDecemberまでの10ヵ月(304日)が基本の1年で、残った日を、Decemberの後に付加するという制度でした。B.C.710年の改定(ヌマ暦)で、その付加日を2つに分けて、これをJanuarius(January)とFebruarius(February)と2つの月にするよう改めたという経緯があります。

 古代ローマ暦が太陰太陽暦であることは述べたとおりです。古代ローマでは、冬の明けるFebruarius末の23日が、テルミナリアという祭日だったのですが、閏月を入れる年は、このテルミナリアの後に更に1ヶ月入れるということで対処していたのでした。この習慣は、ユリウス暦導入後の閏日の挿入にも引き継がれています。

※ この閏の月はMercedoniusと呼ばれた。

 B.C.153年の法律で、年開始日はJanuariusの1日とすることになったものの、このような事情もあって、庶民への浸透には相当な時間がかかりました。ユリウス暦の開始日もそれに倣っていますが、暦の終わりはFebruariusという感覚だけは、やはりぬぐえなかったようです。

 呼び名にもその形跡が見られます。ラテン語でも英語でも、9月はSeptemberと綴りますが、septはラテン語では7の意味です。同様にOctoberのoctは8、Novemberのno(non)は9、Decemberのdec(deca)は10です。暦を改定した時に、呼び名を変えないでそのまま残してSeptember=9としてしまったので、9月を表す単語だが意味は7月、というような妙なことが起こっています。

※ 高校で化学をやった人であれば、IUPACの有機化学命名法はご存知だと思う。モノ、ジ、テトラ…で始まる接頭語を思い出してほしい。

日本の暦

 日本では、西暦が導入される前までは、長らく日本独自の暦(和暦)が使われてきました。

 日本が暦を導入したのは、604年の推古天皇のときだと言われます。以後、遣唐使が持ち帰った暦を導入するなど、4回の改定がありますが、862年に陰陽頭(おんみょうのかみ)である大春日真野麻呂によって宣明暦(せんみょうれき)が策定された後、それが江戸時代まで1200年近く使われてきました。この暦の策定前後について、今ブームの陰陽師、阿倍清明などを擁する阿倍家などと絡めて話を聴きたい人もあるでしょうが、ここでは割愛します。

 1684年に江戸幕府から天文方に任ぜられた安井(保井)晴海は、翌年、この宣明暦の修正を行いました。安井家は碁所の家系ですが、この命により安井は渋川と改称し、新たに天文方の家系として渋川家をおこします。新たに安井が天文方にされた背景には、暦をつかさどる家系を一新する狙いもあったわけです。当時の年号をとってこの暦は「貞享暦」(じょうきょうれき)と呼ばれます。以後、和暦は、1755年(宝暦暦)、1798年(寛政暦)、1844年(天保暦)に順次修正を受けます。

 最後の天保暦(てんぽうれき)が、和暦の最終改訂版という位置付けになります。渋川景佑らによって改定されたこの暦は、それまでの平時法を定時法に改めたものとして知られます。平時法は、昼の中で6等分、夜の中で6等分とすることで時間を割り振る方法、定時法は、1日を昼夜関係なく12等分することで時間を割り振る方法です。昼と夜の長さはその時期によって違いますから、天保暦までは時期によって時間の長さが一致しなかったということになります。農作業などでは利点も多いと思われますが、1時間を定間隔に割り振る方が、使いやすさの面ではやはり利に適うでしょう。

 さて、和暦の定義ですが、太陰太陽暦という以上、ユリウス暦やグレゴリオ暦のように単純明快ではありません。太陽の関係によって、閏月を入れて暦を調整するため、1年は12ヶ月または13ヶ月となります。

  1. 暦日は、京都における子の刻(地方真太陽時の午前0時)より開始する。
  2. 暦月の開始は、朔(新月)を含む暦日とする。
  3. 暦月のうち、春分を含む月を如月(2月)、夏至を含む月を皐月(5月)、秋分を含む月を葉月(8月)、冬至を含む月を霜月(11月)とする。
  4. 閏の月は、中気を含まない暦月に置く。ただ、中気を含まない暦月が、すべて閏月となるわけではない。

※ この暦が実質公式に運用されていた時代の話であり、現在、カレンダーなどで紹介されている旧暦は、京都ではなく、日本標準時(兵庫県明石市,東経135度)を使って計算されていることは言うまでもない。

 中気とは、二十四節気のうち、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪、冬至、大寒、雨水の12の気(太陽黄経が3で割り切れる気)を言います。365を12で割った太陽暦の月であれば、必ず月に一つの中気が入りますが、太陰太陽暦は、1ヶ月は月の満ち欠け(朔望月,約29.5日)で決まりますので、中気を含まない月、というものが出てきます。その月に、閏月を置くことができます。ただし3.の規定に引っかかるときは、置くことはできません。

 例えば、6月に閏月を置く場合は、1月、2月、3月、4月、5月、6月、閏6月、7月…となります。月のカウントは、2.の規定どおり、朔を含む日からその次の朔を含む日の前日までなので、1ヶ月は29日だったり30日だったりします。

 日本が西暦を導入したのは、1872年(明治5年)で、この年の12月2日で天保暦を打ち切り、翌日を明治6年1月1日としました。この時導入したのは、グレゴリオ暦ではなく、ユリウス暦です。日本がグレゴリオ暦に移行するのは1900年(明治33年)と、この27年後になります。

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